稀勢の里が快挙!強行出場で最後は優勝決定戦「見えない力感じた!」

稀勢の里が快挙!強行出場で最後は優勝決定戦「見えない力感じた!」

 奇跡の逆転優勝!貴乃花以来、22年ぶりの新横綱の優勝という快挙に列島がわきました!
 大相撲春場所、2敗で千秋楽を迎えた稀勢の里(30)は、1敗で単独首位の大関・照ノ富士(25)を本割と優勝決定戦で2連勝し、見事二場所連続二度目の優勝を果たしました。
 13日目の日馬富士戦で左肩を負傷したにもかかわらず、強行出場して掴んだ横綱での初優勝。痛みに打ち克つ姿に感動し、涙したファンも大勢いたことでしょう。

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稀勢の里が強行出場の末、最後に掴んだ逆転優勝!

 横綱として初めて臨んだ春場所。12連勝と好調でしたが13日目の横綱・日馬富士戦で事件は起こりました。
 日馬富士に寄り倒された際、左前肩、胸部を負傷。「クオッー!」と痛みに強い稀勢の里が激痛に顔を歪め、その後救急車で大阪市内の病院へ救急搬送される事態となりました。ゲガの詳細は明らかになっていませんが、翌14日目は本人の強い希望で強行出場。テーピングを施し土俵へ上がるも鶴竜戦は力が入らず2杯目を喫してしまいます。そして誰もがダメだと思った千秋楽。稀勢の里が相撲人生を顧みない、横綱の意地を見せてくれたのです。

『気持ちだけ強く持っていこうと。最後は自分の力以上のものが後押ししてくれたと思う』

 左肩から二の腕にかけて、もはや戦闘能力を失った状態の稀勢の里。左上腕二頭筋の近くに皮下出血のような赤黒いアザのようなものが出来ています。
 まず本割で勝たなければ優勝決定戦へは進めません。立ち合い、珍しく右へ変化した稀勢の里。しかし照ノ富士との呼吸が合わず行司に待ったされます。そして二度目の立ち合い。今度は左へ飛びます。入門してからの15年間、注文相撲は生涯2度しかない新横綱が一番で2度も変化したのです。そして土俵際へ追い込まれるも回り込みながら右腕で突き落とし。13勝2敗で優勝決定戦へもつれ込みます。
 続く優勝決定戦。もろ差しを許し万事休すかと思いきや、今までやったことのない捨て身の右小手投げを打ちます。それが見事に決まり、執念で優勝を手繰り寄せたのでした。

 強行出場して、見事優勝を飾った稀勢の里。優勝インタビューでは次のように語っています。

『今までの15年間の相撲人生とは、全く違うような場所だった。横綱土俵入りも初めてやって、今は疲れたというのが一番だが、何か見えない力を感じた15日間だった

「見えない力」とは一体何を言っているのでしょうか。もしかすると、亡くなった先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)の事なのかもしれません。

史上4人目の快挙!師匠の「見えない力感じた」

 ケガを乗り越えての逆転優勝とえいば、平成13年夏場所の貴乃花を思い出す人も多いのではないでしょうか。その時は勝てば優勝が決まる14日目で大関武双山に破れ、右膝を亜脱臼してしまいます。そして強行出場した翌日の千秋楽、横綱武蔵丸と対戦するも突き落としで連敗。2敗同士で優勝決定戦へともつれ込みます。そして優勝決定戦では執念の上手投げで見事勝利。当時内閣総理大臣だった小泉純一郎首相に『痛みに耐えてよく頑張った。感動した。おめでとう!』と賛辞が送られたことは有名です。
 その貴乃花以来の快挙を成し遂げたのが今回の稀勢の里だったのです。新横綱場所で優勝したのは年6場所制が定着した昭和33年以降では、大鵬、隆の里、貴乃花の三人しかいないそうです。しかも先代師匠である隆の里は全勝優勝だったのです。きっと師匠の見えない力が今回の快挙を後押ししてくれたのだと思います。
 そんな素晴らしい快挙を成し遂げた稀勢の里に嬉しい話が。今年1月の初場所後に横綱昇進が決まった際に製作が始まった着物が春場所直前に完成したというのです。これは先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)が横綱時代に購入した結城紬(ゆうきつむぎ)を使ってつくられたものだそうです。これは先代師匠と親交の深かった関係者が最高級の絹織物(当時約800万円)の余った糸で反物を製織。濃紺の地に井桁の飛び柄が映える着物に仕上がっているそうです。師弟の絆は今もなお織物のように紡がれ、師匠と方を並べた稀勢の里は堂々とその”晴れ着”に袖を通せることでしょうね。

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強行出場で怪我は大丈夫!?

 優勝インタビューでは『痛みはご想像におまかせします』と語っていた稀勢の里。来場所以降が心配になります。アスリートのけがの治療に精通する松本クリニック(兵庫・芦屋市)の松本浩彦院長は13日目の映像を見て次の3つのうちのいずれかのケガだろうと推測しています。

①左肩関節の脱臼
②鎖骨の骨折
③大胸筋の肉離れ
(引用:サンケイスポーツ 3月27日)

 だたし、鎖骨の骨折であれば千秋楽で2番も勝つことは出来ないだろうとも語っています。
 稀勢の里は負傷した13日目の夜の段階で、春場所への強行出場は決断していたとされています。『出るから。準備を頼む』と東京などからかかりつけの整体師らを呼び寄せたそうです。祝賀会では『いろいろな治療をしてもらった。一人では土俵に立てなかった』と、感謝の言葉を口にしていました。
 稀勢の里は”ケガが少ない”ことが特徴の一つでした。初土俵から15年間で休場したのは平成26年初場所の千秋楽のわずか一日だけなのです。とにかく早くケガを直して、来場所もなんとか土俵に上がってほしいものです。

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この話題の裏側を考える「稀勢の里の強行出場に賛否の声」

 今回の稀勢の里の優勝ですが、大怪我をしたにもかかわらず強行出場し、最後の最後で逆転優勝したことで私を含め感動した人が多かったようです。ただ、冷静に考えてみると、いくら横綱という立場だからとはいえ、ケガを押してまでやる必要があったのか、疑問を呈する声もあがっています。その一部をご紹介します。

 確かに時代はアスリートファーストの考え方が主流になりつつあります。相撲という日本の国技にも新しい考え方が必要なのかもしれません。

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