安室奈美恵の引退の全真相!息子や母親の事件と3年前の引退宣言に迫る【文春】

安室奈美恵の引退の全真相!息子や母親の事件と3年前の引退宣言に迫る【文春】

 2017年9月20日、公式HPで来年2018年9月16日をもって引退することを発表した安室奈美恵さん(40)。実は、今回が二度目の引退宣言だったというのです。
 ここでは、安室奈美恵さんの引退の全真相と3年前の引退宣言について迫ってみたいと思います。そして、最愛の息子のことや母親の事件についても触れてみたいと思います。お時間あればお付き合いください。

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安室奈美恵の引退の全真相!3年前の引退宣言「奴隷契約」とは

 まずは安室奈美恵さんの引退の全真相を見ていきましょう。週刊文春によりますと、今から3年前の2014年10月、A4用紙8枚におよぶ手紙で安室奈美恵さんは次のように引退を宣言していたのです。一体何があったのでしょうか??

私こと安室奈美恵は、(中略)アーティストとしての活動を停止し、引退させていただきたく意思を固めました
(引用:週刊文春 10月5日号)

 安室奈美恵さんは中学二年生の時に単身上京し、1992年に「スーパーモンキーズ」というユニットで芸能界デビューを果たします。数年は鳴かず飛ばずでなかなか売れなかったものの、1995年に転機が訪れます。小室哲哉プロデュースによる「Body Feels EXIT」が大ヒットし、続く「Don’t wanna cry」や「CAN YOU CELEBRATE?」でミリオンセラーを連発したのです。その頃、ミニスカ&ブーツスタイルの”アムラー”女子高生が世間を賑わせました。
 そして人気絶頂だった1997年にSAMさんと”できちゃった結婚”を発表。翌年長男を出産します(詳細は後述します)。そしてある事件により母親の死も経験します(詳細は後述します)。その後、2001年にリリースした曲を最後に小室哲哉プロデュースを卒業。2002年にはSAMと離婚し、徐々に紅白などのテレビ出演を控え、ライブ中心の活動にシフトしていきました。

 そんな慌ただしい激動の人生を歩んだ安室奈美恵さんの側には「東京の父」と呼ばれるライジングプロの社長・平哲夫氏がいました。安室奈美恵さんは平哲夫氏のことを『オヤジ』と呼んでいたそうです。二人は二人三脚で頑張ってきました。
 しかし2014年、二人に修復し難い深刻な亀裂が生じることになります。事の顛末を報じたのは週刊文春で「安室奈美恵『これでは奴隷契約です』育ての親ライジング平哲夫社長から独立へ」(’14年8月14日・21日号)という記事で報じられています。ある芸能関係者によりますと、亀裂の原因は次のような事だったようです。

・安室さんは20周年ライブが終わったら人生を見つめ直したいと思っていた
・平社長は、ライブ後の打ち上げで『安室は21年目、22年目も活動を続けていく』と宣言
 →これにより安室さんは社長に裏切られたと感じる
・事務所との契約が5年ごとの自動更新であることを知ってショックを受ける
・いつまで仕事を続ければいいのか分からなくなり『奴隷契約じゃないですか!』と口にする

 2014年5月、税理士と弁護士と一緒に事務所を訪れた安室奈美恵さんは、『印税や報酬の割合引き上げ』や『原盤権の譲渡』などを要求する『提案書』を提出します。さらに同年6月には個人事務所「ステラ88」を立ち上げ独立へ加速します。
 そして週刊文春の報道から二ヶ月後の10月中旬、安室さんは平哲夫氏に一通の手紙を送り、そこに冒頭で紹介した引退宣言が綴られていたのです。
 ただ平哲夫氏は『安室側の要求には法的根拠がなく一切応じない』と教鞭な姿勢を一切崩さず、この騒動の原因と責任は安室側にあるとし、損害賠償も辞さない構えを示します。その後、互いに譲らぬまま騒動は翌年までもつれ込んだのですが、安室さんは一月中旬にライジングプロとの専属契約を終了し、「エイベックス」の音楽レーベルである「ディメンション・ポイント」に移籍し、活動を続けることで事態の収束が図られたのです。
 それから約2年後の今年、ようやく満を持して引退宣言をするに至ったのでした。平哲夫氏は安室奈美恵さんの引退について次のように語っています。

「引退の一報は、当日直前に、エイベックスからの連絡で知りました。ダンスや歌唱力が衰える前に身を引くというのはアイツの美学なんだろう。独立から二年が経ち、安室に対して感情的なしこりはなく、来年の引退ライブを楽しみにしています」
(引用:週刊文春 10月5日号)

 苦楽を共にした仲ですから、二年という月日が当時の感情を洗い流してくれたのかもしれません。
 以上が引退の真相ですが、常に全力で頑張ってきた安室さんはそろそろ休みたい(もしくは引退したい)と考えていたにも関わらず、事務所としては売れっ子を辞めさせるにはいかなかったのでしょう…。

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名前を入れ墨した息子とサンフランシスコ移住計画

 先程も少し触れましたが、安室奈美恵さんは人気絶頂だった1997年、15歳年上のダンサー・SAMさん(55)と”できちゃった結婚”をします。東京へ上京するときも結婚も全て自分で決断してきた安室奈美恵さん。この時も母親には事後報告だったそうです。ただ、母親の恵美子さんも中学で上京し、二十歳の時に”デキ婚”しているそうで『示し合わせたように私と同じ道を歩んでいる』と不思議そうにしていたといいます。
 そして1998年5月に長男・温大(はると)君を出産します。温大君は現在19歳で来年成人を迎えるそうです。安室奈美恵さんはこの一人息子・温大君を溺愛し、最近まで左腕に名前を刻んだ入れ墨があったほどです。

 現在はアメリカンスクールに通っているそうで、海外へ留学する計画もあるようです。ある芸能デスクの話では、具体的にはアメリカのサンフランシスコが有力だそうで、息子の海外留学に合わせて、安室奈美恵さんも一緒に移住するのでは?という話もあるようです。

母親の事件のこと。犯人は再婚相手の弟だった

 安室奈美恵さんが息子を出産した翌年の1999年3月。母親の恵美子さんに凄惨な事件が起きてしまうのです。安室奈美恵さんがまだ21歳の時の出来事です。週刊文春には母親の事件について、母親の再婚相手である平良辰信氏の話が掲載されていました。

「当時は安室の収入で、辰信・恵美子夫妻の生活も潤っていた。それを間近で見ていた弟が、逆恨みして、犯行に及んだんです。昼間、車で待ち伏せしていた弟が、道の真ん中にいた恵美子さんに猛スピードでぶつかり、さらに引き返して轢いた。弟はそのまま車で走り去り、間もなく自殺しました」
(引用:週刊文春 10月5日号)

 母親の恵美子さんは享年48歳という若さで亡くなってしまいます…。安室奈美恵さんはあまりのショックに、しばらく放心状態になっていたそうです。9年前、雑誌のインタビューで当時の出産や、母親の事件のことについて次のように振り返っています。

「当時は結婚も、出産で仕事を休むことも、何も怖くなかった。でも、母のことがあってからは、ずっと辛かった。なんでこんなに濃い人生なんだろう。もう仕事も”安室奈美恵でいること”もやめたいと思っていました」(引用:AERA ’08年5月12日号)

 安室奈美恵さんはファンに対して『カッコよくいること』を大切にしているといいます。さすがにそろそろ年齢的にも限界に近づいてきたことを実感したのかもしれません。

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この話題の裏側を考える「今後は京都を拠点に?音楽プロモーターの影」

 安室奈美恵さんの20代は不幸の連続だったのですが、そんな彼女に救いの手を差し伸べたのが50代の某大物プロモーターN氏だと言われています。週刊文春の10月5日号には実名が報じられていますがココではN氏と記載します。実は、安室奈美恵さんがライジングへの不満を漏らすようになたのはそのプロモーターと出会った時期と一致しているといいます。

・N氏は8という数字を好み、車のナンバーは88
・安室さんが立ち上げた個人事務所は「stella88」
 →東京・北青山のビルの8階にある
 →信用金庫の支店を挟んだ隣にあるビルの8階にN氏の会社の事務所がある
・N氏が妻子と暮らす高級マンションの別の部屋に安室さんの自宅がある
・安室さんは去年「stella88」名義で京都・平安神社近くに高級マンションを購入
・その約5ヶ月前にN氏も会社名義で平安神社近くに別のマンションを購入
 →その距離約540m(徒歩約6分)

 安室奈美恵さんの引退後の真相は、京都で隠居生活というのも十分有り得そうですね。安室さんはN氏に息子のことも相談していたといいます。引退後もN氏の影響力は大きいと予想されます。

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